無名作家のくせに、週1のアルバイトも無理な理由(言い訳)とは?

今さらながら、小説を書くにしろ、ブログを書くにしろ、楽しくないと続かないのだということをつくづく思います。はい、「アクセス少ねー!」とか文句たれながらも、ぼくはこのブログの更新をふつうに楽しんでいます。

まだこのブログをはじめて1ヵ月くらいしか経っていないので、確かに多少無理やり更新しているところはあります。でも、好き勝手に書かせてもらっているので、基本的には楽しいです♪

 小説を書くことは「死」に似ている

ただ、小説に関していえば、楽しく書けるようになったのは、去年の9月頃からです。それまでの19年6カ月の間は、ず――っと毎日苦しかったです。所謂、書いちゃ捨て書いちゃ捨ての繰り返しで、「今度こそ絶対マジでイケる!」と何百回確信し、何百回絶望したか……本当に数え切れません(苦笑)

もちろん、今書いている小説にしても、本当にイケているかはわからないというか……もっと煮詰めていかなければならないことは確かですが、しかし、必要最低限の文体は獲得した――と、ぼく自身はほぼ確信しています。(とりあえずこの確信が本物だという前提で話を進めます(笑))

そして、当然ですが、ここに至るまでの悩みや葛藤を相談できる相手は一人もいませんでした。小説というのは、一人で書くものだからです。現時点で自分は小説(芸術)というものをどの程度理解していて、どこで?何に迷っているのか?というのは、本人にしか知り得ないし、その迷いを晴らして先へ進むには、結局本人自身の力でしか無理だろうとぼくは思います。

その意味で、小説というのは、「死」に似ているような気がします。いくら周りに看取ってくれる家族がいても、死の苦しみと恐怖を乗り越えなければいけないのは、自分ただ一人だからです。手を握ってもらっても、死における苦しみを少しでも引き取ってくれるわけではありません。最期の最期には、誰もが絶対的な孤独を強制されるのです。

現在も乳がんで闘病中の小林麻央さんが、医師から「95%癌です」と言われた後に行った検査結果を待つあいだ、「生検の結果を聞くまでの10日間は、ひとりだけ違う時間軸に生きて、ゆっくりゆっくり皆とは違う 暗闇に追いていかれるような感覚だった」とブログに書いていますが、最期には誰もがまさにそういう感じになるような気がします。

「人間とは実に可哀想な生き物だ……」とか、武者小路実篤がそんなことを、「人生論・愛について」で書いていたはずですが、確かにそうかもしれないとぼくも思います。

 

「死」について考えることは、自分を正直にさせる

ぼくくらいの歳(あと2カ月で40歳)になると、マジで死んじゃったりする友人や先輩がぼちぼち出てきます。そんな彼らとの記憶を思い出したところで、「死とはなにか?」みたいなことには、まったくもって近づくことはできませんが……それでも「死」についていろいろ考えてしまうことがたまにあります。

アイツに最後に会ったのはいつでどこだったとか、そういえばアイツには3万借りっぱなしだったとか、なんで最後にあんなメールを返してしまったんだろうとか、あの頃はまだ36歳で死ぬなんて思ってもいなかっただろうとか――

アイツが転落した場所のアスファルトの臭いとか、その窪みを這うアイツの血とか、救急車のサイレンとか、まさにそのとき自分は何をしていたのか?とか、自分と妻や家族が死ぬときは、どんな状況でどんな感じなのだろう?とか、シリアでサリンを撒かれて殺された人たちと自分たちは、なんで逆じゃないんだろう?とか……

もちろん、こんなことを考えたからといって、死についての答えは愚か、その仮説でさえ一つも頭には浮かんできません。ただ、死について何かを考えたり想ったりすることは、大事なことかもしれないというか……自分もいずれ死ぬからとかそういう理由ではなくて、自分自身を正直にさせてくれるというか、自分の存在のありのままを感じることができる一つの方法かもしれないとは思います。

 

働いてしまうと、芸術的精神を維持できない

「正直に、存在のありのままを……」というのは、小説に限らず、すべての芸術が目指すところです。で、この流れでいえば、芸術は死と直結している――と言い切ってもいいでしょう。だからといって、死のことを直接表現することだけが芸術ではありませんが、「死とはなにか?」を考えたり想うこと自体が、芸術的行為であることは間違いないだろうと思います。

つまり、人間でさえあれば、誰でもすぐに芸術家になれるともいえるわけです。とはいえ、一人の人間が芸術家であり続けるためには、その状態(死を考えたり想うこと、もしくはそれと同レベルのことを考えたり想うこと)を、常に持続させなければなりません。

そう、果たしてそんな状態を持続したまま、バイトの面接なんて行けるでしょうか……?仮に面接に受かったとして、その後の労働をみんなと同じように行えるでしょうか……?

答えはNOです。せいぜいもって半年でしょう。だからといって、「芸術的精神を維持するため、半年後には辞めます」などと、前もっていうわけにもいきません。そんなことをいったら面接で落とされるに決まっています。つまり、半年後には強制的にバックレてしまうしかないわけです。もしくは、「父が危篤で……」とか、ウソをつかなくてはならなくなります。

一生懸命お仕事をしている方々に、そのような対応をしなければならないことは、一個の人間として、たいへん心苦しいことです。だからぼくは、働くことができない(週1のバイトも無理)のです。いや、一生懸命お仕事をしている方々の邪魔をしないために、「働かない」ことをあえて選んだのです。

 

ふ~~~~~ん。 

…………。

 

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