高校留年&転職回数50回以上!?超ダメ人間の最後の砦

宇宙飛行士になるために、仕方なく高校受験

ぼくは幼い頃から、組織というのが苦手でした。2,3歳の頃に、母に保育園に連れていかれるのが嫌でたまらず、毎朝大泣きしていたことを今でもはっきり覚えています。

やがて、もうすぐ小学校に入学するとなって、保育園で「一年生になったら」の歌を歌うようになったときに、「これ以上まだ、しかも、また一から新しい組織に属さなければならないのか……」と、ぼくは絶望しました。「ともだち100人」という歌詞に、「今いる10人くらいのともだちでマジ十分」「頼むから、もうこれ以上いろいろ押し付けないでくれ……」と思いました。

小学5年のときに、矢追純一のUFOスペシャルをみて、ぼくは宇宙飛行士になろうと思いました。そのときにぼくは生まれてはじめて、組織に属すことを前向きに我慢するようになりました。宇宙飛行士になるためには、大学を卒業しないといけなかったからです。

当時のぼくが調べた限りでは、日本で宇宙関係の学科があったのは、茨城県の筑波大学だけでした。ぼくは、「筑波大学へ行くためだけ」に勉強し、高校を受験しました。もしそれがなければ、高校を受験することはなかったと思います。

とはいえ、ぼくが入学した高校から筑波大学へ進学するのはかなり難しく、かといってそれ以上の高校へいく頭がなかったぼくは、とにかくこの高校でトップクラスの成績をとって、なんとか筑波大学への道を拓こうと、自分なりに相当頑張って勉強をしました。

しかし、いくらやっても上位50人(350人中80位くらい)に入ることができず……よし、もう宇宙飛行士はあきらめて、なんか適当に芸術的なことをしよう!と思ったぼくは、2年に進級する前に高校を辞めると母にいったら、「そんなことは許さない!」と返ってきて、「じゃあもし留年したら絶対やめるから!」とやり返したとおり、いっさい勉強せず、学校もサボりまくって、わざと留年してやったのですが、「頼むから高校だけは卒業してくれ……」と、超大泣きされて、仕方なく4年間高校に通いました。

 

「小説のため」ではなく、「自由になりたい」で逃げ回っていた?

当然、高校卒業後の仕事はどれも続きませんでした。パッと数えただけでも、50回以上転職を繰り返しています……(苦笑)というか、どんなに頑張っても1年以上はもたないことを自分でわかっていたので、バイトを転々としながら、なんとか働かずに済む方法はないかと、毎日ずっと考えていたのですが、とりあえず、働く時間(組織に属する時間)を少しでも減らすために、風呂なしアパートに住んで、生活費を極限まで抑えることにしました。

働く時間を減らしたおかげで、2年半続いた仕事もありましたが、それ以上はどうしても無理で、だったらと、バイトを完全にやめ、200万の借金をして、賭けに出ることにしました――と、この賭けの結果については、前の記事でお話しした通りです。

結局ぼくは、「小説のため」というより、「自由になるため」に、ずっと逃げ回っていただけなのかもしれません。しかし、小説や芸術のことについては、そのための能力や才能はさておき、逃げずにずっと戦ってきたつもりです。

というより、自由の最極は、芸術の中にこそあるとぼくは思っていて、ぼくのように、目の前の嫌なことからとにかくひたすら逃げ回っていると、最後は誰しも芸術にたどり着いて、そこでようやく落ち着く――という感じになるんじゃないか?と思います。つまり芸術は、ダメ人間の最期の砦ともいえると思います。

 

ニートで人生終わるくらいなら、芸術家になろう

だからぼくは、芸術の良さというか楽しさを、いろいろな人に広めたいという一方で、広めたくないという気持ちと、両方あります。芸術(自由)というのは、社会秩序とあまりに相反するものだからです。

ただ、もともと社会秩序が崩壊しているニートの方々とか、もう死にそうなくらい人生がつまらないとかそういう人たちには、だったらぜひ芸術に避難してください!と強く言いたいです。ええ、もしかしたらあなたは、ぼくなんかが足元にも及ばないほど、素晴らしい芸術的才能の持ち主かもしれません……(苦笑)

芸術は、あなたに社会的な価値なんか一切求めません。あなたがニートであろうと、何かの犯罪歴があろうと、そんなことは一切関係ありません。あなたの表向きの形なんて、そんなのはどうでもいいというか、むしろ普通で良いんです。

無理に狂気に走ってしまうと、あなたにしか辿り着けないはずの自由に、いつまで経っても辿り着けません。芸術の目的は、狂気ではなく、自由を掘り下げることなのです。

 

なんか言ってることよくわかんな~~い

 

だそうなので、ちょっと中途半端ですが、今夜はこのへんで失礼します……(苦笑)

 

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