眠くて適当に書いたブログ記事は読んでもらえるのか?

明日、北朝鮮で、金正日の生誕祭が行われるそうです。それに合わせて刈り上げ君は核実験をやるのか?というか、おそらくやれないでしょう。もしやったら、トランプのオジキはマジ切れします。即戦争になってしまいます。

先日、史上最強の非核爆弾が、イスラム国に投下されたそうです。はい、オジキは本気です。やるといったらやります。いや、「やる」という前に、シリアはやられました。そう、世界中がオジキの一挙手一投足に、戦々恐々としています。ここにきて中国が、オジキに気を遣いはじめています。刈り上げ君も、国内外向けの強気な態度とは別に、話し合いをしたい雰囲気を裏でちょこちょこアピールしています。素晴らしいことです。話し合いで解決できるなら、ぜひそうしてもらいたいです。

そもそも、オジキに気を遣うのは、恥ずべきことではありません。オジキが「黒」といったら、白も赤も青もぜんぶ黒です。もうそれでいいじゃないですか。向こう数年は、みんな黙ってオジキに従いましょう……。

といっても、刈り上げ君はまだ若い。同じ頃まで金髪にしていたぼくのように、無理にイキがって、ミサイルを発射してしまうかもしれません。そしてそれがよりにもよって、この芸術家のコメカミに着弾してしまうかもしれません。

今月の携帯料金は、4444円(少額の場合は2ヶ月毎の支払い)でした。ええ、実に不吉な数字です。災いは、やっぱりすぐそこまで来ているような気もします……。

あいかわらず、妻にはほとんど危機感がないようです。当然です。そんなことより、来週本社で行われるプレゼン会議のほうが、妻にとっては重要だからです。社会活動というのは、こうも現実への目を眩ませてしまうものなのか?それとも、ぼくが見ている現実のほうがウソなのか?

どっちが本当なのか、ぼくにはわかりません。ただ――と、ここでいつもなら、社会活動のほうの非を詮索することが多いのですが(苦笑)、今日はなんとなくそんな気分にもなれません。別に、トランプのオジキのことを、いつまでもアレコレ考えているからというわけでもありません。

単純にちょっと眠い。それだけです。眠いのにぼくは書いています。なんの目的もなく、いわば適当にこの記事を書いています。ちょっとだけ、ぼくが書き進めている小説的な感じで書こうとしているようです。(←最近はまったく書けていませんが……)

もちろん、ブログでこんな書き方をしてはいかん!ということはわかっているつもりです。だから、やっぱり何かテーマを決めようと思います。といっても、今さら何かのテーマを強引に決めるのもどうなのか?と思います。

ネタが尽きたわけではありません。書こうと思ってストックしているネタは無限にあります。一生かかっても書き尽くせないくらいあります。さらに、まだまだ新しくネタは出てくるでしょう。単純にちょっと眠いから、そのネタをいちいちまとめ上げるのがしんどいだけです。

古すぎる、あるいは、やっぱりこんなこと書いてもツマランな~と思ったネタは、葬られることになります。「ツマランな~」と思う、ぼくのこの基準が正しいかはわかりませんが、「ツマランな~」と思って書くと、当然ですが、どうしても質が悪くなってしまいます。いや、「質」の基準も、そもそも明確ではありません。

――と、やっぱりここでいったん寝ることにします。寝て起きた後に、このまま書き進めてみたいと思います。そしてそれが一本のブログ記事として成立しうるか?を、試してみたいと思います。

……起きました。はい、頭がスッキリしています。で、さっそくこの記事を最初から読み返してみたところ、このままいっちゃってもいいかな?と思いました。だからこのまま書き進めます。

もうすぐ、1500字です。あと500字書けば、いつもくらいのボリュームになります。もちろん、文字数は関係ありません。重要なのは「質」です。グーグル様も、「質」を重視するようにと、各サイト管理者に、ほとんど「警告」をしています。しかし、質にこだわりすぎると、最悪、何も書けなくなってしまいます。

いや、そういう問題ではありません。ぼくが書いている今回のこの記事が、あっちこっちに気がむいて無茶苦茶になっているというだけで、ぼくが書いている他の記事よりも質が低いか?ということを、ぼくは問題にしたいのです。

「何かを知りたい」という人に、その答えをちゃんと提供できれば、その記事は質が良いといえるのは当然です。あるいは、面白さや、新しい見方や、発見などを提供することもそうでしょう。しかし、そのどれでもない、今回のようにただダラダラ書いたような記事は、じゃあ質が悪いのか?というと、そうでもない気がします。

人間の感覚や注意というのは、常に一定のものだけに向けられているわけではありません。むしろ、常にアチコチ向いているというべきでしょう。しかし人間の頭は、どうしてもそれをまとめたがる。たとえば、こういうブログ記事なんかはとくに、けっきょく何が言いたかったのか?の、「何」を理解しないと、気が済まない傾向が、誰しもあるように思います。

理解する、まとめる――人間はその作業を繰り返すことで、この世界のあらゆるものを固定化してきました。結果、固定化されたものたちは、人間にとって、それ以上の存在にはなり得なくなってしまいました。

つまり、あらゆるものたちの本当の姿というのは、人間にはわからない、見えない。それじゃあダメだろうというか……あらゆるものたちを固定化するのをいったんやめて、そのものたちを純粋にちゃんと見直しましょう――というのが、一つに芸術の主張であるような気がぼくはします。

まあそれはそうと、この記事のタイトルがようやく決まりました→「眠くて適当に書いたブログ記事は読んでもらえるのか?」

そう、これでいこうと思います。最後の最後まで適当で申し訳ありません……(苦笑)しかし、こんな無茶苦茶な感じの記事があってもいいかな?と、実はずっと思っていたのです……(笑)

 

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