「人間は芸術家になることでしか幸せになれない」という芸術家の押し付け

弟の彼女が妊娠したようです。ということで、二人は来月にも籍を入れることになりました。所謂、できちゃった婚です。今時はよくある話ですが、ぼくがまだ小学2,3年生のときは、できちゃった婚をしたある一般女性が、ワイドショーで取り上げられてしまうくらい、信じられないことでした。

そのときに見たテレビを、ぼくはなぜか今でもよく憶えています。その一般女性は、巻き髪で、確か白黒写真だったと思いますが、まるで何かの容疑者扱いでした。

子供たちには芸術家になってほしい

それはそうと、妊娠の話を聞いたぼくが、「うちの苗字で籍を入れるのか?」ということを弟に確認したら、弟は「たぶんそうだと思うよ」と言いました。「たぶんじゃなくて、ちゃんと彼女に確認しろ」といったぼくに、弟はキョトンとしながら、すぐに彼女に確認して、「うちの苗字でいいって。あっちの親も了解済み」とメールを送ってきました。

そう、こんなぼくにも、我が家の血を絶やしたくないとか……そういう気持ちがあることに、ちょっと驚いてしまいました。

ぼくが生まれたとき、大祖母が「よくやった!」と、母をすごく褒めたそうです。一方で、女の子を生んだ母の妹(ぼくの叔母さん)には、かなり冷ややかだったようで、ぼくはそのことをずっと否定的に思ってきました。

しかし、大祖母が叔母にとったらしい冷ややかな態度を、今のぼくは完全に否定することができません。苗字が違う妹の娘(姪っ子)を、差別的に見ているというわけではもちろんありませんが、同じ苗字になる弟の子供のほうが、より自分と近い存在に思ってしまうことは確かだからです。

まあでも、姪っ子にしても、弟の子供にしても、とにかく二人とも幸せになってくれればそれでいい――という気持ちは、もちろん変わりません。ただ、一番の問題は、「どのような人間であろうと、芸術家になることでしか、結局は幸せになれない」と、ぼく自身がわりと本気でそう思っていることです。

だから、今年小学一年になったばかりの姪っ子にも、これから生まれる弟の子供にも、ぜひ芸術家になってほしいという気持ちが、ぼくにはあります。ええ、実に危険な叔父です……(苦笑)

といっても、自分の子供ではないので、芸術的関与を強引に行うことはもちろんしません。そもそも、そんな危険極まりない関与を、妹も弟も許しはしないでしょう。しかし、姪っ子にしろ弟の子供にしろ、もしも将来芸術家になりたいといったら、ぼくが率先して教鞭を振るうつもりではいます(笑)

 

若く、必要とされている人間が、先に死ぬことの不条理

いや、こんな危険な話はもうやめましょう……(苦笑)とにかくぼくは、自分の親族はもとより、男女問わず、子供や若い人が大好きなのです。ロリコンとか性的な意味ではもちろんありません。

だから、小学生が殺されたり、中学生が自殺したり、高校生が事故で死んだとかいうニュースをみると、本気でちょっと鬱っぽくなります。ガンで闘病中の小林麻央ちゃんのことにしても、なんで重三郎(父)じゃないんだ!?と、つい思ってしまいます(苦笑)

命を差別してはいけないのでしょうが、自分より若い人の死が、心への打撃がより大きいことは、どうしても否定できません。あるいは、多くの人に必要とされている人(たとえば小林麻央ちゃん)が、そうでない人(たとえば重三郎)より先に死ぬことは、どうしても受け入れがたい気持ちがあります。なぜだ?と、やっぱり思ってしまいます。

こんなことをいくら考えたところで、もちろん答えはでないでしょう。そもそも、この世界は人間の都合によって創られてはいないようです。人間の都合は、むしろほとんど無視されているといってもいいくらいです。そんなことはわかっていても、しかし人間は、この世界をどこかで支配しているつもりになっています。だからこそ、なぜ?と思うのでしょう。

しかし、人間にはどうすることもできません。人間は無力です。しかし、人間の気はそれでは済みません。だから人間は考えます。考えても無駄だとわかっても、人間は考え続けます。なぜ自分がこんな目に?けっきょく自分は何のために生まれてきたのか?を、最期まで問い続けます。

 

人生を強制的に終了させられる前に……

人間にとって、本当に重要な問題というのは限られているはずです。そしてその問題というのは、人類共通のものなはずです。だからいがみ合っている暇は、本当はないはずです。でも人間はどうしても争いをやめられません。

けっきょく人間はどうしたいのでしょうか?死や人生のさまざまな不条理に見合うほど、人生のある一瞬は幸せなのでしょうか?幸福から不幸を差し引いて、生まれてきて良かったと思える人間はいるのでしょうか?

人間の救いは、悩み抜いた果てに、すべてを静かに受け入れる境地にいくことだと仮定した場合、しかし、それを達成するには、人間の一生はあまりに短すぎる気がします。いや、人間自身が、そのための時間を短くしてしまっているような気がします。

もっと色々なことを、考えるというか、感じる時間が、人間には絶対的に必要だと思います。そうでないと、「なんのために生まれてきたのか?」という問いそのものが、実は儚く無意味であるということに気づけないまま、人生を強制的に終了させられてしまうでしょう。

で、人間にとって、それこそが一番不幸なことかもしれないとぼくは思っていて、だからこそ、どのような人間にも、芸術を通じて悩み抜く必要があるんじゃないか?と、ぼくは思っているのです。

 

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