働きたくない「ぼく」が思う、働く意味とは?

履歴書を買ってきました。はい、こんなぼくでもやれそうなバイトを見つけたので、応募してみようと思います。といっても、今日は電話をしません。肩が凝って、しかもその痛みが首まできて、ちょっと息苦しくなって、「もしかしたら死ぬかもしれない……」と、朝から3回くらい絶望して、疲れちゃったからです(笑)

気丈の裏に隠された、何かとガンを疑う小心

ぼくが見つけたバイトは、1日1時間の病院清掃です。週5日で、月収2万くらいです。できれば月収5万くらいは稼ぎたいのですが、そうすると拘束時間が長くなって、精神が破壊されてしまうので……(苦笑)

月収2万で、毎月の赤字が解消されるわけではありませんが、精神が破壊される&また違う仕事を探さなければならない手間を考えれば、給与が少なくても続けられる仕事のほうがいいかな?と、今は思っています。というか、ぼくができるとしたら、この程度の仕事しかありません。妻がいなければ、ぼくは間違いなく生活保護のお世話になっていたでしょう。

明日になってその求人がなくなったら、ご縁がなかったということで諦めます。といっても、いい加減本気でバイト探しをしようとは思っています。このブログの目途が立たないこともありますが、弟がいろいろあって、実家に送金できなくなってしまいそうなので、さすがにもう母の年金に頼るわけにはいかないからです……(苦笑)

社会貢献とお金を稼ぐことは違う?

まあでも、小説を書きたいだけのぼくが働く理由は、純粋にただお金のためだけですが、妻や他の人を見ていると、お金以外にも、やりがいというか、要はぼくが小説に求めている「生き甲斐」みたいなものも、同時に仕事に対して求めているように思います。

そういう人たちを見ていると、お金はお金で大事とはいえ、働くという行為そのものが、人間にとって必要なことなのかな?とは、やっぱり思います。いくらお金があっても、なんの目的もなく人間はダラダラ生きることはできないからです。いわば「社会貢献」に参加することは、働く人たちにとって誇りともいえるでしょう。しかし、社会貢献とお金を稼ぐことは、やっぱり別物のような気がします。

とくに昨今は、雇用のための仕事を、企業側が無理やりつくっているのが問題になっていて、だから「99%の会社はいらない」なんて、ホリエモンは指摘していますが……(笑)まあ実際はそこまでじゃないにしても、必要のない会社や仕事は、かなり多いかもしれないとは思います。

 

雇用のために、無理やり仕事をつくるという無駄

たとえば、電化製品は、新しいものが毎年いろいろ販売されていますが、毎年買い替える必要なんて、普通はありません。節電とか省エネを売りにしているものならまだしも、自動掃除機なんて、むしろ運動不足になって不健康な気もします。

そもそも、電化製品のほとんどは、数年後にわざと壊れるようにつくってあるとか聞いたことがありますが、だとしたら、大量の雇用を維持するためにそういう無駄なことをしているのだと言わざるを得ません。住宅にしても、「百年住宅」を謳っている会社がありますけど、そんなの当たり前じゃないの?じゃあ他は何年もつの?って、ぼくなんかは思ってしまいます。

車にしても、「あんちゃんっ…!」のCMでやっている大きめの軽ワゴンみたいなやつがありますが、普通の人はあれで十分だと思います。

車に見てくれとかロマンを求める人たちというのは、そもそもはじめから「ただの車オタクだった」というだけで、ひと昔前は、そうじゃない人もみんななんとなく流されて、しかもみんな金があったし、ほかに金を使うところもないし、じゃあちょっといい車でも買うか――みたいなノリだっただけだと思います。

で、時代がかわって、「ただの移動手段」という車の本質が露呈した今、もはや軽ワゴン以外は、ぜんぶ「オタク車」だと割り切って、超絶カッコいい車を少数台つくるとか、そういう経営にシフトしていかないと、車業界は生き残れないような気もします。

 

ベーシックインカムで、日本企業の軍需参入を阻止しよう!

そもそも、金融や保険商品なんかと違って、目に見える物品というのは、進化というより、 消耗という現象に頼って商売をしています。だから、食品とかはそのまま商売として成立するとしても、あるいは、百均とかユニクロとかも、単価が安いからさておき、しかし、電化製品や車というのは、住宅もそうですけど、大量の雇用を維持できるほどの消耗を、消費者に期待できません。

だからこそ、わざと壊れるように作ったりだとか、投資目的用のマンションを建てたりだとか、消耗を促す歪なことをしなくてはならないのでしょうが、そんな綱渡りをいつまでも続けられるわけじゃないので、結局のところ、消耗と破壊がごく自然に成立している軍需市場へ参入するしかない業種なんだと思います。あるいは、東芝のように、原発事業に参入するしかないのだろうと思います。

つまり、意味のない無駄な消耗というのは、架空の雇用を生み、そしてその架空の雇用を維持するために、やがて企業は、戦争に参加するしかなくなるということです。

兵器の短い寿命が、多くの雇用を生むというジレンマ

だからこの際、十年使える掃除機と、三十年乗れる車と、百年住める家をつくるだけの技術と雇用を残して、あとはぜんぶやめてしまえばいいような気もします。で、その受け皿(溢れた雇用の)として、ベーシックインカムをやればいいのでは?と、個人的にはそんなふうに考えてしまいます。

つまりベーシックインカムは、日本企業の戦争参加を阻止する、ひいては、平和をつくるきっかけになるかもしれない政策なのです。

 

仕事は綺麗ごとじゃない→だったら、綺麗ごとにするべきでは?

ペットショップにあるケージが狭くて、その中にいる犬猫たちが劣悪な環境で 飼育されていることが、長年問題になっていましたが、環境省が、ようやくその規制の検討に乗り出したことに、ペット業界全体が徒党を組んで反発しているそうです。反発の理由は、ケージを大きくすれば、その分コストと場所代がかかるから……つまり、お金です。

ペット業界で働く人たちというのは、その他の業界よりも「動物が好き」という、明確な就業理由をもっていると想像しますが、動物のために働きたいというその純粋な想いが、お金のせいで、動物を虐待する結果になってしまっているのです。

仮に、国がベーシックインカムで最低限の生活を保証すれば、ペット業界で働く全社員を時短勤務にすることもできるはずで、つまりその分、ケージを大きくする為の投資ができるようになります。

従業員も、ベーシックの分を合わせればそれなりの収入になるので、というか、ベーシック分を合わせても多少収入が減ったとしても、「動物のために働きたい」という純粋な想いだけで気持ちよく働けるのであれば、そのほうが良いのでは?と思ってしまいます。

働くというのは、個人の純粋な想いを実現させるためのものであって、それが叶わないなら、そもそも働く意味なんてないような気がします。仕事は綺麗ごとじゃないとかよく言いますが、だったらちゃんと、綺麗ごとにしなければならないと思います。

しかしそのためには、企業努力だけじゃ絶対に無理で、つまり、べーシックインカムをやるしかないんじゃないか?と、個人的にはそう思います。

 

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