「社会のニーズとは?」を超行き過ぎて考えてしまう芸術家の憐れ

「単なる情報提供はしたくない」というプライド?自己満足?

今さらですが、書くネタはたくさんあっても、そのネタを「書きたい」という衝動に駆られないと書けないことを実感しています。

たとえば、ぼくは中学3年のときに、はじめてギックリ腰をやって以来、長年腰痛に悩まされてきましたが、最近はある方法によって、よほどのことがない限り、腰が痛くなることはなくなりました。

で、マネタイズ(収益化)のことを思えば、こんな記事→「妻がお昼寝の間に適当に書いたブログ記事は読んでもらえるのか?」より、よっぽど腰についての記事を書くべきだということはわかっているのですが、なんとなく気が乗らず、未だにそれを書くことができていません……(苦笑)

純粋な職業作家やライターの立場だったら、こんなことは許されないでしょう。その意味でぼくは、純粋な職業作家やライターには、やっぱりなれないのかもしれません。

しかし、ブログにしろ小説にしろ、自分の書きたい衝動に任せて書く文章のほうが、質が高くなるのは確かで、読んでもらう限りは、単なる情報提供で終わらせたくないというプライドというか、自己満足というか、とにかくそういう気持ちがあります。

要は、歯ぎしりに悩んでいない人が読んでも、おもしろい歯ぎしりの記事を書きたい――ということですが、その理想をどこまで実現できているかは、自分ではわかりません。

 

「どこまで本心を犠牲にするか?」の社会にはうんざり

ともあれ、いわゆる成功法でいかない限りは、そのぶん人より多くの記事を書かなければ、それなりの収益を得ることは難しいでしょう。広告の配置にしても、クリックをしてもらいたい下心と、見やすさを提供したい本心とのせめぎ合いで、どうしようか?と未だに悩んでいます(苦笑)が……

どこまで本心を犠牲にするか?というのは、ぼくのこのブログに限らず、あらゆる経済活動において、常に問われる、もっともデリケートな問題です。

人間とって、この本心を犠牲にすることで一番打撃なのは、言うまでもなく医療業界です。といっても、先の記事でこの件に関連してペット業界について少し触れたので、ここであえて医療業界の闇に触れるつもりはありませんが……

やっぱり結局は、ベーシックインカムのような制度で、国民の生活資金の底上げを図るか、もしくは経済に頼らない社会をある程度実現しない限り、この問題は延々に解決しないような気がします。

 

仕事にやりがいを持てる時代は終わりつつある?

今後、「2020年問題」と題されているほど、ITの技術者がますます不足するといわれています。あらゆる業界が、ITを活用した分野へ参入しているからです。

確かに、IT技術のおかげで、人間の生活は飛躍的に向上しました。何よりぼくにとっては、このブログがなければ、みなさんに知ってもらうことは、おそらく一生かかっても実現しなかったでしょう(苦笑)

しかし、これ以上の利便性が必要か?といえば、ぼく自身はそうでもありません。いや、ぼくに限らず、新しい斬新な商品もサービスも、消費者はそんなに求めていないような気がします。

4Kテレビとか、その最たる例でしょう。8Kテレビなんてのも、もうすでにあるのか知りませんが、そんなの技術者の単なる自己満でしょ?と言われたら、それまでのような気がします。

アフリカのどこかの国に、日本の新幹線を売りつけようとしたら、時速300キロも必要ないと言われて、時速100キロくらいの中国の安い新幹線に市場を奪われたり、とか……

そういうニュースや話を聞くと、仕事にやりがいやプライドをもてる時代は終わりつつあるのかもしれないと、そんなことをふと思ってしまいます。

 

社会というか、人間にとって、本当のニーズとは?

確かに、今より便利になるに越したことはないでしょう。しかし、老後どころか、数年後の先行きも不安な時代に、ドラえもんのような世界の実現を求めるような人は、それほど多くはいないように思います。にもかかわらず、さらなる進化を遂げようとするIT業界は、むしろ時代に逆行しているような気もします。

じゃあ、社会というか、人間にとって、本当のニーズとは何なのでしょうか?

この疑問を真剣に考えれば考えるほど、それは「死についてのこと」だったり、要は「芸術しかあり得ないだろう!」というふうに、どうしてもぼくは行き過ぎてしまうようです……(笑)

もちろんそれは究極のニーズに違いないでしょうけど……まあ、だからやっぱりぼくは、金を稼ぐことには不向きすぎるということかもしれません(苦笑)

 

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