「20年前のぼく」に上から目線の、20年前と変わらない「今のぼく」

寝台列車で「天下の一雄」になることを誓った夜

今からちょうど20年前の3月に、高校を卒業(留年しているから19歳で卒業)したぼくは、同じ年の9月に、寝台列車に乗って上京しました。

寝台列車のトイレの向かい側には、大きな鏡があって、ぼくはその鏡に映った自分にむかって、「天よ、我に百難を与えよ。奸雄たらずとも、必ず天下の一雄になってみせる……」と、三国志の曹操(そうそう)の名言を小声でつぶやいたことを、今でもはっきりと思い出せます。

というか、まさに小声でそうつぶやいていた当時のぼくの背中の映像が、ここ数日、頭から離れません……(苦笑)

そう、ぼくは天下の一雄になる予定でした。しかしながら、天はぼくに、「百」ではなく、その10倍の「千難」を与えてきたのです。だからぼくは敗北したのです。曹操であろうと、千難を乗り越えるのは無理だったでしょう。曹操が天下の一雄になれたのは、「難」が百以下だったからです。

 

あ、20年前のぼくが、今の言い訳を聞いて、正気を失ったようです……(笑)

 

仕方ありません。彼(20年前のぼく)はまだ若い。そもそも彼は、40歳までなんか、生きるつもりはないようです。

彼の予定では、3年以内に芥川賞をとって、さらに2年後の25歳までにはノーベル賞もとって、しかしながら、高所恐怖症&閉所恐怖症のために、飛行機には乗れないことを理由にノーベル賞を辞退しようとしたら、わざわざスウェーデン国王が来日し、超特例として日本で授賞式が行われる――

と、さらにその晩餐会の模様がテレビ中継されたおかげで、その翌日に携帯がひっきりなしに鳴って、そのことを、さらに数か月後に出演依頼された「情熱大陸」の収録中に、差し入れのハーゲンダッツを食べながらちょっと愚痴る……みたいな感じ(妄想)になっているようです(笑)

ええ、ハーゲンダッツを買うお金なんて、現実にはとてもありません……(苦笑)

 

人間にとって、真の教師は「時間」でしかない。

まあ、それはそうと、「もしも今のぼくが、20年前のぼくに何かいってやれるとしたら、何をいうか?」みたいなことを、昨夜からずっと考えているのですが……今のところ、それに相応しい言葉が、一言も思いつきません。

そう、人間にとって真の教師とは「時間」でしかないことを、つくづく思います。そしてその限られた時間の中で、どれだけのことをしてきたか?が、その人間の現時点での「質」を決定させるのでしょうが、時間に見合うだけの質を獲得できたか?は、他人はもとより、自分自身でさえ、そう簡単に判断できることではないでしょう。

といっても、特別なにもしなくても、時間は常にいろいろなことを人間におしえてくれます。これまでぼくは、時間がどんどん流れていることに、ある種の恐怖みたいな感情をもっていましたが、今はむしろ、時間さえこのままずっと流れ続けてくれれば、実は何の問題もないんじゃないか?とさえ、少し思っています。

 

繰り返される無駄を愛でる心

今年もまた、20年前のぼくのように、天下の一雄にならんと上京した若者はたくさんいるでしょう。そして彼らもまた20年後に、今のぼくのように、下手くそな言い訳をしながら地元に帰ってくるかもしれません……(笑)

しかし、この繰り返しに何の意味があるのか?と問うことは、ぼくはもうしません。とくに意味はないからです。とはいえ、それは否定すべきものでも壊すべきものでもありません。桜の木を切ってしまうのと、それはまったく同じことだからです。

「桜を愛でる」という言葉がありますが、若い人たちの野心もまた、今のぼくにとっては、愛でるに足るものです。と言いつつ、今のぼくにも、まだ相当級の野心(邪心)があるというのは、とても不思議な感じがします……(苦笑)

 

20年前より、20年後を想像できる。が、しかし……

20年後のぼくは、今のぼくを見てどう思うでしょうか?20年後のぼくをみて、今のぼくは正気を保てるでしょうか?

ええ、おそらく正気を保てるでしょう。いや、それどころか、超ウハウハな人生になっている「予定」です……(笑)もっといえば、スウェーデン国王の来日の夢も、まだ完全には捨てきれていません。はい、吐きそうなくらい恐ろしい真実を、告白してしまいました……(苦笑)

とはいえ、20年前よりは、今のほうが、20年後のことを少しは現実的に想像できるようです。だから一方で、スウェーデン国王の来日なんてあり得ないだろう!とも、ちゃんと思っています。

しかしながら、ノーベル賞の辞退までは、わりと本気で想定しているようなので、結局ぼくは、20年前とそれほど変わっていないということでしょう……(苦笑)

 

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