小説家&主夫(男)が考える健康的な食生活とは?

小説家にとって大切なのは「頭」ではなく「体」=食生活。

小説や芸術というのは、「頭」ではなく「体」でつくるものだと、ここ1,2年くらい前から、ぼくはそう考えるようになりました。

「頭」というのは、理論を整理するところですが、小説のことでいえば、ストーリーなり何かの理論を積み上げてつくるやり方は、ジョイスやプルーストたちによって、20世紀の時点で完全に終わってしまいました。

とはいえ、ぼくを含めた後続の作家たちが、その概念を体に落とし込むまでには、相当の労力と時間がかかります。未だ先頭を走っている感のある先人たちが切り拓いた道は、それをなぞることさえ、容易ではないのです。しかし、小説を芸術にまで昇華したいのであれば、その道を無視することはできないだろうと思います。

ということで、これからは……というかすでに、太宰のように、食生活や生活習慣の乱れなんかを売りにするような作品は通用しないのです。現代の小説(芸術)というのは、「頭」ではなく「体」を主体として、無意識レベルでつくっていかなければなりません。そして「体」の資本になるのは、言うまでもなく「食べ物」です。

 

温泉に忠告された食生活の乱れ

食べ物は薬と違って、その効果を実感しづらいという欠点があります。しかも、手間や時間もかかるので、どうしても適当にやってしまいがちです。実際、こんなことを言っているぼく自身も、適当にやってしまうこともあるのですが……(苦笑)

それでも以前に比べると、食生活に対するぼくの意識が激変したのは事実です。というのは、2年くらい前に、宮城県の東鳴子にある「いさぜん旅館」という古い湯治場(写真は違います)に妻といったときに、食べ物が体に及ぼす影響というのを、かなりはっきりと自覚したからです。

この温泉旅館には、3種類の源泉があって、そのうちの「炭酸泉」と「鉄鉱泉」という2種類のお湯が、本当に5分も入っていられないほど、疲れるというか、重いというか……確かに疲れがとれた感じはしましたが、それより何より、その温泉をあがってすぐに、じっとしていられないほど異常な食欲が沸いてきたのです。

同じく激しい空腹に襲われた妻が「温泉のおかげで体が元気になったからじゃないの?」と、つまり、温泉の効能によって正常になった体が、いま足りていない栄養素を純粋に求めはじめたのだ――という妻の意見を聞いて、なるほどと思いました。

「今は、冬から春になる季節の変わり目だから、食べたいもの食べてないでしょ?」

アジ、ホタルイカ、アサリ、ホヤ、キャベツ、きぬさや、ふきのとう、ウド、トマト、きゅうり……とか、純粋に食べたいものを二人であげてみると、妻がいうとおり、体はもう春か夏でした。

しかし、その時期のスーパーの棚には、鮭、マグロ、ブリ、大根、ほうれん草、ゆきなとか……冬の食材がまだ大半を占めていて、春の食材はあっても値段が高く、仕方なく冬の食材ばかりを食べていました。でもそれじゃダメなのだと、食べたうちにほとんどなっていないと、温泉によって正常になった体が、自分たちに忠告してきたわけです。

 

「食べたいものを体に聞く」ことで、量を抑え、健康を維持する。

ぼくは独身のころ、一食でコンビニ弁当を3つも食べたり、牛丼屋でも並み盛りを一度に2つ頼んだりしていました。自分は体がデカイ(181センチ75キロ)から、実際いくら食べても足りなかったし、むしろそれだけ食欲があることは健康な証拠だと思っていました。

しかし、そうではなく、純粋にいま食べたいものを体に聞いて、必要な栄養素を必要なだけ摂れば、少ない量で済みます。しかも、そのほうが健康も維持できるはずです。あるいはそれをもっと突き詰めていけば、禁煙時の異常な食欲も抑えられて、無理なく禁煙ができるかもしれません。

また、過去の記事の繰り返しになりますが、人間はその住んでいる土地、つまりその場所にある、土や水や空気に生かされているので、同じ土や水や空気で育った食物を食べるのが、その人の体に一番合うと思います。

単純に、地産地消を推奨しているということですが、その理由としてもう一つ挙げるとすれば、他県の食物というのは、基本的に大量生産であるのは間違いないので、化学肥料の割合がより多くなると思うからです。

 

国産より、アメリカやオーストラリア産のほうが良いかも?

うちでは、肉はほとんど食べず、魚をメインにしています。妻が魚のほうが好きだというのが一番の理由ですが、体のことを考えれば、肉よりも魚のほうがやっぱり良いんじゃないか?とぼくは思います。

というのは、「天然の肉」というのがないからです。狩ってきた鹿やウサギの肉なら別ですが、もちろんそんなのはスーパーにありません。あるのは、人間に飼育された牛と豚と鳥肉だけです。

魚にしても、養殖された魚というのは、限定された水域で生息させるので、感染病を予防するために薬を含有させたり、食べさせる餌も、ペレットなどの人工的なものに偏ってしまいがちです。そのため、より自然に近い食生活をするのであれば、天然の魚が一番いいのは間違いないでしょう。

しかし、魚はいいとして、肉は天然のものは売っていないので、どうしても飼育された肉を食べるしかありません。で、値段のことはさておき、どうせ食べるなら国産のほうが良いような気もしますが、しかし、狭く限定された場所で飼育されている日本の家畜より、アメリカやオーストラリアの広い土地で十分に放牧されているはずの家畜のほうが、より自然体に近いような気もします。

要は、日本の家畜のほうが化学肥料が少なめであることを差し引いても、天然の割合にどれだけ差があるか?というのは、微妙なところで……だったら安いほうがいいだろうと、ぼくはいつも外国産の肉を買っています(笑)

 

ストレスにならない、無理のない範囲で自然食を取り入れていく。

食生活に関しては、まだまだ書くべきことはありそうですが、とりあえずこの記事ではここまでにします。

「地産地消」や「天然」にこだわりたいと、ぼくがここまで強く思うのは、純粋な地球エネルギー(磁性体)を、できるだけ体に多く取り込むことで、人体に有効な代謝を促すことができるだろう――と考えているからです。

先の温泉の話は、つまり代謝の問題なのだとぼくは思っています。極めて強い純粋な地球エネルギー(源泉)が、人体の毒を皮膚から浸透して取り除いてくれたということです。いわば良質な代謝こそが、体を健康にするのはもちろんですが、心や無意識にも良い影響を与えてくれるのは間違いないと思います。

かといって、いわゆる自然食にこだわるには限界があります。好き嫌いもあるだろうし、住んでいる土地や、お金の問題もあるでしょう。だから、とりあえずできる範囲でいいと思います。そしてそのできる範囲を少しずつ広げていく。

どのみち今のご時世では、すべてを完全に自然食にするなんてことはできないですから、ストレスにならない、無理のない範囲で取り入れていくのが一番良いかと思います。

 

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