経済(お金)に依存する限り、憲法9条の改正には賛成も反対もできない?

原発のおかげで、日本は戦争をしないでこられたかもしれない?

朝鮮半島の緊張に乗じるかのように、安倍首相が自身の念願である憲法9条の改正に、とうとう踏み込みました。しかし、9条の1項と2項を残しつつ、「自衛隊を明文で書き込む」だけ――というのは、やや弱気な感じもします。

そもそも、「戦争放棄」を謳った1項を残すのはしょうがないとしても、2項の「戦力は保持しない」については、「自衛隊を明文で書き込む」とする以上、残しておくのはかなり不自然な感じもしますが……公明党への配慮か何かで、そうせざるを得なかったのかもしません。

まあでも、ぼく自身は、9条の改正には賛成も反対もできません。なぜなら、「戦争をなくすためにはどうすればいいのか?」の記事に書いたとおり、戦争と経済活動は連動しているとぼくは考えているので、お金を稼がないと生活ができない社会が続いているうちは、どうやっても戦争をなくすことはできないと思うからです。

もっといえば、世界屈指の経済国である日本は、それだけ多くの消耗(経済の循環)を必要としているわけで、にもかかわらず戦争に参加しないというのは、筋が通らないのでは?とさえ思ってしまいます。

といっても、日本は多くの原発を抱えて、無言の危機を自ら背負っているので、だからそのぶん今まで戦争をしないでこられたのかな?とも思います。

 

経済(雇用)のためのしわ寄せをどこに持っていくのか?

少し前まで、再稼働さえままならない国内をあきらめて、東芝や三菱が、海外に原発を輸出しまくっていましたが、現地で出た放射性廃棄物の処理と、将来起こるかもしれない原発事故については、ぜんぶ日本政府が税金で負担する取り決めになっていたそうです。

福島のことがあったから、そこまで妥協しないと売り込めなかったということでしょうが……何にせよ、未来にツケを回す、いわば付け焼刃的なそういうやり方までしないと、現状の経済を維持することはできないのかな?と思ってしまいます。

要は、経済(雇用)のためのしわ寄せを、「戦争」か「原発」のどっちへ持っていくか?というだけの話で、原発に依存しづらい現状で、「戦争」という選択肢が出てくるのは、ごく自然な流れのように思います。

もしくは、ベーシックインカムで国民の生活水準を底上げして、経済(雇用)への依存を少なくするという手段もありますが、ベーシックインカムの実現には、年金の一本化は必須でしょうから、そうすると高齢者の方々にしわ寄せがいってしまいます。

しかし、戦争か?原発か?高齢者に犠牲になってもらうか?の三択しかないとしたら、高齢者に犠牲になってもらうのが、もっとも合理的で自然な形かもしれないというふうに、どうしても思ってしまいます。

企業も労働者も限界の今、高齢者に犠牲になってもらうことはできないのか?

 

周公旦に学ぶ「大局的」な視野と判断

戦争を、話し合い(外交努力)で回避するに越したことはもちろんありませんが、結局それは、戦争を棚上げするか、戦争と同レベルの不幸で代替する――ということでしかなく、根本的な解決にはなりません。

にもかかわらず、ただ闇雲に、戦争や原発に反対する人たちを、ぼくはどうしても懐疑的に見てしまいます。もっと現実的というか、大局的に考えてほしいと思ってしまいます。

このこととは少し話がそれますが、大局的な判断の例として、ぼくがいつも頭に思い浮かべるのは、以下の逸話です。

 

むかしむかし、夏(か)という国に、桀(ケツ)という、それはひどい王様がいました。桀王は、貧しい生活をしている人々を顧みず、王宮で贅沢三昧の日々を送っていました。そして自分に歯向かう人たちを、ある時は生き埋めにし、ある時は火あぶりにし、ある時は石打ちにして殺しました。そんな桀王の暴虐に耐えられなくなった人々は、結束し、多くの犠牲を払いながらも王宮に攻め入って、ついに桀王を倒しました。

新しい王様は、人々を愛し、善政を施しました。その次の王様も、そのまた次の王様も、同じく人々に善政を施し、平和はそれから二百年以上も続きました。しかし、紂(チュウ)という王様のときに、ふたたび世の中は乱れました。紂王は桀王にそっくりでした。貧しい人々の生活を顧みず、王宮内の池を酒で満たし、木々に肉を飾って、贅沢三昧の日々を送っていました。そして自分に歯向かう人たちを容赦なく殺し、ある時は奴隷にしたり、祭りのための生贄にしたりして、人々の恨みを買いました。やがて人々はふたたび結束し、多くの犠牲を払いながらも、なんとか紂王を倒しました。

新しい王様は、人々を愛し、善政を施しました。しかし、王様の側近の、周公旦(しゅうこうたん)という人が、王様にこんなことを言いました。
「いくら王様が人々を愛し、善政を施したところで、数百年後に、ふたたび桀や紂のような王が現れて、未来の人々をきっとまた苦しめるでしょう。」
「ならばどうすればよい?」と尋ねた王様に、周公旦は次のように答えました。
「桀や紂のような王が現れてしまったときに備えて、もっと人々が攻め入りやすい場所に、王宮を建て替えるべきです。このような堅固な要塞で王宮を囲ってしまっては、未来の人々の犠牲は、計り知れないものになってしまうでしょう。」
王様は、周公旦のこの意見を取り入れ、平地のど真ん中に王宮を建て替えました。そして王様の国は、七百年以上も平和が続きました。

 

これは、三千年以上前の古代中国(周王朝)の逸話です。史実を少しいじっていることは、大目にみてください……(苦笑)

まあ、この場合の大局の判断を、今の日本に当てはめて考えることは難しいですが……少なくとも、自分の子供や孫たちのことだけでなく、もっと遠い未来の人たちのことまで本当に考えようとすれば、今のような付け焼刃的な議論ややり方はできないだろうと思います。

繰り返しになりますが、戦争にしろ原発にしろ、悪の根源は、お金(経済)なのです。極端にいえば、電化製品や車を買い替えるだけでも、戦争や原発に加担していると言わざるを得ないということです。

だから、9条改正や原発に反対するなら、お金に頼らず、山に籠って自給自足の生活を送るのが筋だと思いますが、ぼくにしても、そこまでのことはとてもできません。

かといって、戦争にしても原発にしても、感情的には当然反対なので、要するに大局的(現実的)に考えれば、賛成も反対もできないだろう、というふうにぼくは思います。

 

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