短編小説『メロスの決断』③~権力者は人々の奴隷に過ぎない?

城の外では、メロスの意思に反して、これまでと変わらない政策が勝手に進められた。それに反発するものは、容赦なく処刑された。何も知らない人々は、新しいメロス王に失望した。「また、裏切られた」と、誰もが思った。

そう、人々はディオニス王が王座について間もない頃も、それを熱狂的に歓迎した。いや、王が変わるたびに、人々は期待を新たにした。

しかし、けっきょく何も変わらない。いつまで経っても、人々の生活は楽にならなかった。その理由を人々は、現在の王が、実は王にたり得る器ではなかったとか、無能だとか、或いは、権力者特有の誘惑に敗北したに違いないなどと、決めつけていた。

あれほど思慮深く、村の一牧人に過ぎなかったメロスでさえ、暴君と化してしまったことが何よりその証拠だと、人々は囁き合った。そして、シクラスの街はふたたび活気を失った。

メロスには、どうすることもできなかった。四六時中すべての行動を監視されていたメロスは、気が狂いそうだった。その代わり、好きにして良いとあてがわれた美女や奴隷には一切見向きもせず、メロスは自分の身の回りのことは自分でした。

あれだけはしゃいでいた豪華な食事にも、ほとんど手をつけなくなった。それがメロスにできる精一杯の抵抗だった。やがてメロスは、ディオニス王がいっていた「孤独」の意味を知った。

「ディオニス王は亡くなりました」秘書は冷めた口調でいった。

「お前たちが殺したのか?」

「人聞きの悪い。自らお薬を拒んだのです」

「嘘だ!私に王の座を譲ったから……それでお前たちが殺したんだろう!?」

「確かに、そのような命令はありませんでした。ディオニス王は、自らの命と引き換えに、あなたを王に任命したのでしょう」

「そうまでして、ディオニス王はなぜ私に王座を譲ったのだ?」

「それを私に聞かれてもわかりません」秘書は吐き捨てるようにいった。「大人しくしていれば一生遊んで過ごせたものを……」

その夜、メロスはなかなか寝付けなかった。ディオニス王がなぜ自分を王に任命したのか?いや、そんなことより、ディオニス王に散々罵声を浴びせてしまった自分を悔やんだ。メロスはどうしてもディオニス王に詫びたいと強く思った。

「メロスよ、王の居心地はどうだ?」

ディオニス王の霊は、メロスに静かに問いかけた。

「王よ、私はあなたのことを誤解していた……どうか許してくれ」メロスはディオニス王の霊に、深々と頭を下げた。

「メロスよ、王たるもの何人にも頭を下げてはならん」

「王たるものだって……?」メロスは皮肉交じりに言った。「どうせ王は何もできやしない。所詮王なんぞ、奴らの奴隷に過ぎない……王よ、あなたはそれに耐えられなかった。だから私を王にした。私にさんざん言われて自棄になったから、私に王座を押しつけた。違うか?」

「それも一つにはあるだろう。しかし、自棄になったばかりではない。奴らは自分たちの都合の良い人間を王座に据えようとしていた。わしはせめてもそれを阻止したいと思った。奴らにとって、王が王らしくあることは望ましくない」

「奴らとは誰だ?」

「それを知ってどうする?」

「知れたこと。殺してやるのさ」

「メロスよ、お前はまだ若い。奴らを探そうとしても無駄だ。それを知ったところでどうにもならない」

「なぜだ?護衛が厳しいからか?」

「それも確かにある。奴らを殺すことなど、到底できやしない。奴らはこの世界で最も安全な場所に潜んでいる。たとえその居場所を知れたとしても、たどり着く前に殺されるのは目に見えている。聞けば、この地球の万一に備えて、奴らは脱出用の宇宙船まで用意しているらしい」

「だったらせめてもその宇宙船を壊してやる!」

「お前は何もわかっていない」ディオニス王はメロスを諭すようにいった。「たとえ奴らを殺せたとしても、奴らと同等の輩がふたたび国の実権を握るのは目に見えている。奴らを退治したところで、民衆は幸福にならない。民衆を幸福にするのは民衆自身だ」

「どういうことだ?」

「実のところ民衆は、平和を望んでやしない。今のままで良いと思っている。世の中が平和になるよりも、自分と家族の生活さえ満たされれば、彼らはそれで満足なのだ。いや、自分と家族のための他に心を費やすべきことなど、この世界に存在しないとさえ彼らは思っている。そうでない個人はあまりにも稀だ」

「そんなはずはない」メロスは急いで反論した。「現に私は、自らを犠牲にして……」

「そう、お前こそは、稀な個人だ。だからこそ、お前を王に任命したのだ」

「………。」

「奴らからすれば、確かに王の代役は幾らでもいるだろう。しかし、わしはお前以上に王の資格をもった人間をほかに知らない」

「それはまた随分と買いかぶってくれたものだ」メロスは皮肉交じりにいった。「仮にそうだったとしても、この私に何ができる?余計なことをしたら、私は殺されてしまうんだ。私だけじゃない。妹や、セリヌンティウスも……」

「メロスよ、よく聞け。わしらを隔離しているのは、実は奴らではない。お前が救いたがっている民衆たちなのだ。わしらも、奴らも、実はともに民衆の内なる悪の奴隷なのだ。民衆の無意識にひそむ悪の集まりこそが、悪政を促す張本人なのだ」

「そんなものは、権力者の言い訳でしかあるまい」

「残念ながら、まったくそうでないとは確かに言い切れない。しかし、奴らの悪政を主に手伝っているのは民衆自身だ。お前が愛する民衆は、世界の富に限りがあることに考えが及ばず、自分と家族の生活を必要以上に満たそうとすることで、いわば悪に加担しているのだ。ほんの少しの贅沢を一億人がしようと思えば、それは巨大な欲望となる。たった一人の素朴な願いごとが六十億も集まれば、それはもはや世界にとって脅威でしかない。その欲望をやり繰りしようとすれば、無理が生じるのは目に見えている。民衆の素朴な願いの集まりこそが、悪政を促し、ひいては戦争を引き起こしているのだ。奴らは、そうならないように、大多数の民衆ができるだけ均一に満たされるように、うまく調整しながら政策を進めようとしている。もちろん、中にはそんなことなどお構いなしに好き勝手する連中もいるだろう。しかし、だからと言って、奴らを一緒くたに無法者と決めつけるのはあまりにも浅はかだ」

「悪政は民衆の意思ということか?」

「たとえおまえに王として立派な資質があったとしても、民衆の意思が立派な王を望まない限り、お前はきっと民衆の意思によって抹殺されるだろう」

「ならばどうすれば良いのだ……?」

「民衆自身が自覚するまで待つしかない」

「それは一体いつのことだ?」

「わからん。何百年、いや、何千年先のことかもしれない」

「そんなに長いこと待っていられるか!人々よ、いい加減目を覚ましてくれ。いや、お前たちはバカだ!そもそも私は、お前たちのために、お前たちの幸福のために、自分を犠牲にしたのだ。その私が、お前たちを殺せなどと命じるはずがないだろう!なぜお前たちはそれをわかってくれない?なぜお前たちは私を信じてくれないのだ……?」

「人々の無知を知り尽くした末に、お前はきっと悟るだろう。それでも人々を信じ、彼らの素朴な心を愛し敬うことが、この世界の唯一の救いであることを。それが王たるものの使命だということに、お前ならきっと気づく」

その夜、メロスは一晩中泣いた。(続く……

 

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