短編小説『メロスの決断』④~人類が敗北しても、自分が負けなければ良し!

翌日、メロスをさらなる地獄へ突き落とす事件が起こった。メロスの身を案じて王宮へやってきたセリヌンティウスが、狼藉者として処刑されたのである。何も知らない人々は、かつての親友をも手にかけたメロスを、狂王(狂った王)と揶揄し、今度は実の妹が殺されるかもしれないと、噂しあった。

同じく、生前のディオニス王も、家族の処刑を自ら命じたのではなかったことを知ったメロスは、かつての自分と今日の人々に、改めて失望した。

いや、メロスはこの期に及んで人々を信じようとした。自らの内なる声を、見識ある誰かが汲み取り、きっとそれを人々に触れ回ってくれるだろうと。しかし、真実はもとより、それらしき憶測すら、人々の間では一切語られることはなかった。人々の結論は一致していた。かくも残虐非道なメロス王を、これ以上王座に据えておくことはできない、と。

やがて、新しい王の誕生を望む民衆の声が高まると、それに合わせるように、裏ではメロスを王座から引きずり下ろすための準備が進められていった。メロス自身も、自らの破滅が近いことを感じていた。それはあまりにもやり切れないことだった。

とはいえ、メロスには何をすることもできなかった。王でありながら、何の権利も主張もできないこの地獄。王とは、自分の器や才能とは関係なしに、あらゆる罪を背負わされた民衆の奴隷である。弁解する余地さえ与えられず、世間から抹殺される世界一不遇の凡人である。

それでも人々のために尽くさんとする情熱を持つものが、王たるものの資格者であったとしても、自分は人々のために一体何ができるというのか?できるとしたら、いや、差し当たって王は、自分の命を守るために、その情熱に水をかけて、沈黙を保たなければならない。沈黙のまま、この世から抹殺された王は、ディオニス王の以前に、はたして何人いたのか……?

メロスは限界だった。いっそのこと死んでしまいたいと、何度も思った。

「ディオニス王よ、私はあなたほどに、王座に居座ることができない」

「ならば死ぬか?わしにはお前の自殺を咎める資格はない」

「今の私ほど不幸な人間はこの世にいない。なぜ私だけが、こんなにも苦しまなければならないのだ?人々よ、善意あらば、私を殺してくれ!」

「お前にはわしがいる。決して不幸ではない」

「……」

「お前が思うとおり、人々にいえる言葉は限られている。いや、真実を語ったところで、王はキチガイになったと騒がれるのがオチだ。今の人々に何を語ったところで通じはしない。人々が自ら悔い改めることをしない限り、王座につくものは永久に民衆の奴隷だ」

「ならば、どうすればよい?」

「お前にできることは一つしかない。王にたり得る人間を王に任命することだ。それが奴らに、ひいては人々の内なる悪に、一矢を報いる唯一の方法だ。王が一度公衆で明言したことは、奴らも撤回はできない」

「しかし、この苦しみを誰かに背負わせることは私にはできない……」

「そうはいっても、お前はもうじき殺される。人々のために不幸を買って出ることさえ、お前には許されていない。お前はまもなく死ぬ。そしてお前の意思に関わらず、別の違うものが王になる。その王は、奴らにとって、人々にとって、都合の良い人間だ。人々の悪と欲望に端を発した自分勝手な人間が、王に選ばれる。新たな王は、お前のように自らの無力を嘆き、人々を憂うことはしないだろう。欲望のままに与えられた贅沢を貪り、人類をまた一歩後退させてしまうだけだ」

「だとしても、私は自ら王を任命することはできない。心ある人間にとって、それは死刑も同然だ。いや、死刑以上に残酷かもしれない。私は、私の寿命がせめてあと百年続くことを願う……」

「お前はつくづく頑固な男だ。しかし、結果はわかっている。お前はきっと、自ら新しい王を任命する。さもなければ、すべての希望が振り出しに戻ってしまうことを、お前はすでに気づいている」

「………。」

「メロスよ、お前が決断を下すまでに味わう苦悩は、きっと人類の財産になるだろう。たとえ何もできなくても、お前が人々のために悩み苦しんだ事実は、人類の歴史に刻まれる。お前は何一つ恥じることはない」

「しかし、けっきょく人間は同じことの繰り返しじゃないのか?人々が自覚し、自らを悔い改める日がやってくるとは、私にはどうしても思えない」

「わしらが理想とする世界が金輪際実現しないと、誰が言った?歴史がそれを証明しているからって、それがどうした?過去の偉大な人間たちの力をもっても、人類が少しも変っていないからといって、いちいち嘆くな。お前一人が落ちぶれなければ、まずはそれで良い。違うか?」

「……」

「人間はもしかしたら勝てないかもしれない。未来の人間もまた敗北してしまうかもしれない。いや、人類は永久に勝てないかもしれない。それでも良い。共に戦い、敗北すれば良い。宇宙の歴史に、お前とわしが共に正義のために悩み、戦った事実を刻むのだ」(続く……

 

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