過度な運動やスポーツは健康寿命を縮めるだけで、美しくも何でもない!?

ウンコは1.5キロ溜まらないと出てこない!?

1日1食にしてから、3日に1回くらいしかウンコが出なくなってしまったので、大量の水&ときどき青汁を飲むなどして、その解消に努めてきましたが……あまり効果がないというか、そもそも便秘的な感じでお腹が苦しいというわけでもないので、余計なことはもうしないことにしました(苦笑)

その人の体の大きさによっても当然違うでしょうが、基本的にウンコというのは、1.5キロくらい溜まらないと、排便に至らないそうです。つまり最近のぼくは、3日でようやく1.5キロになるくらいしか食べていない――ということなのかもしれません。

実際、1日1回の夕食でさえ控えめで、とくにご飯(炭水化物)は茶碗半分くらいか、そもそも食べない日もあるくらいです。しかも玄米オンリーなので、ウンコになるような不純物がそもそも少ないということもあるでしょう。

 

運動や筋トレはその日の「気分」に任せてやっている

当然ですが、体重もどんどん減っていて、昨日だか一昨日くらいに、ついに60キロ台(現在69.4キロ)に突入しました。といっても、お腹回りはまだ若干……いや、まだまだ普通に皮下脂肪を手で掴めるくらいあります(苦笑)

身長181センチの標準体重は72キロらしいですが、美と健康の両方を考慮した「理想体重」というのは68キロらしく、さらに、美に重きをおいた「美容体重」というのは65キロらしいので(笑)そのくらいまで絞れば、いよいよ腹筋が割れてくれそうな気もしますが……

まあ、美に重きをおくのが一番の目的ではないにしろ、10代後半~20代前半の頃は、今より重い72キロ(身長は変わらず181センチ)だったのに、こんな感じで↓ちゃんと腹筋が割れていたので……

要は加齢のせいで、筋力が落ちてしまったことに、ちょっとでも抵抗しようと、ぼちぼち筋トレもやっているのですが……といっても、本当に冗談ぬきで「ぼちぼち」しかしていません(苦笑)

ええ、具体的にどのくらい「ぼちぼち」なのか?というと、腹筋30~50回、腕立て20~30回、スクワット30~40回くらいです……(ショボ!)

しかも、毎日必ずやるようにしているわけでもないどころか、やっている途中に、わりとキツくなったり、だるくなったりしたら、10回以下でもやめちゃいます。やり方(型)にしても、効率とかそんなためではなく、単純にその日の気分で適当に変えたりしています(苦笑)

 

運動も小説と同じで「型」にはめるとツマラナイ?

言うまでもありませんが、なにもぼくは、アスリートやスーパーサイヤ人を目指しているわけではありません。もっといえば、健康な体をつくりたいというより、体が自然にやりたがっていることを、そのとおりにやらせてあげたい(動かしてあげたい)というか、そのために体をあれこれテスト運動させているだけ――という感じなのです。

だから、腹筋にしろ腕立てにしろ、型が決められた感じの運動を、そのままその通りキッチリやるようなことは、これからますますなくなると思います。

いわば、テーマもストーリーも、タイトルさえろくに決めず、超好き勝手書き進めている小説と同じように、その日の気分とか体調とか気温とか、その他諸々の現実的な都合のほうをむしろ優先して、超適当に体を動かす――という感じのノリ?を目指しています(笑)

そもそも小説にタイトルをつける必要はあるのか?

たとえば、毎朝30分以上ウォーキングをするとか決めてしまうと、その日の気分や体調を犠牲にしなければなりません。そうしてしまうと、自然(自分の本能)に逆らってしまうことになります。

料理にしても、塩や砂糖を小さじ何杯とか、本来そういう分量はしっかりと決められるものではありません。同じ料理を作るにしても、そのときの気分や体調や気温や季節などによって、分量はまったく違ってくるはずです。

結局、何事にしても、「型」とか「決まり」みたいなものをつくって、それにはめ込んでしまっているせいで、人間は自らの感覚(本能)を退化させてしまっているのです。

仕事でも、マニュアル通りにしかできない(或いは言われたことしかできない)人は、「公務員的だ」とか「融通が利かない」と揶揄されますが……しかし、そもそも仕事(職業)自体が、マニュアル化されたカテゴリの一つに過ぎず、さらにいえば、「お金を稼がないと生きていけない」ということこそが「マニュアルの権化」ということに、ぼくからすればどうしてもそうなってしまうのですが……(苦笑)

昔の日本が景気が良かったのは「戦争のおかげ」という単純な話

まあでも、こんな感じのストレートな皮肉はこれまで嫌というほど書いてきたので、今回はもうちょっと皮肉の角度を変えてみましょう……(苦笑)

 

「継続は力なり」とはいえ「継続」を義務化してはならない?

はい、サブタイトルの通りです。「継続は力なり」だからといって、何か(たとえば毎朝30分以上ウォーキングをするとか)を無理に継続する必要はまったくないと思います。

なぜなら、「何かを継続してやる」ことは、義務ではなく、その人自身の本能が勝手にそうさせるからこそ、成立し得るものだからです。そうじゃなければ、継続して続けることなんてできやしないからです。

ぼくが文章を書き続けているのも、禁煙をしたのも、1日1食を続けているのも、いわばぜんぶ本能(ただの気分)です。義務的なものがあったとしても、それはほんのちょっとです。

無名作家が毎日小説を書き続けられる理由とは?

つまり、ほんのちょっとの無理で実現可能なそのことが、その人にとって大きなメリットなり喜びをもたらすということであれば、是非ほんのちょっとの無理をするべきだと思いますが……

ほんのちょっと以上の無理を必要としたり、或いは今の生活環境的に、そうするに相応しいタイミングではないとか……とにかく、その無理のレベルや種類にもよりますが、必要以上にストレスがかかってしまうようなことは、むしろやらないほうが良いと思います――

仮に、肉食が体に及ぼす悪影響を上回るほど、肉が好きで好きでしょうがないなら(肉を食べないことのストレスが尋常じゃなかったら)、もはや肉を食べ続けるしかないだろうということです。

 

足が速いとか、球蹴りが上手いことに、なんの価値があるの?

と、子供なしの専業主夫であるぼくがこう書いてしまうと、如何にも怠惰な感じに解釈されそうですが……(笑)しかしたとえば、過度な運動やプロレベルのスポーツについてのことでいえば、肉体の限界に挑戦し続けることで、健康寿命は縮んでしまうだろうから、むしろ良くないでしょ?と、ぼくは思っています。

実際、有名なアスリートの多くが、わりと短命であることは事実だし、だからぼくは、オリンピック競技をはじめ、巷で行われているスポーツのほとんどに、ここ数年けっこう懐疑的です。

だいたい、足が速いとか、球を転がす(操る)のが上手いとか……そういうことに長けた人間に特別価値があるとは、ぼくには思えません。というか、そういうことにしても、結局ぜんぶ金目的(スポンサー)なんでしょ?というふうにしか、ぼくの考えは及びません(苦笑)

野球にしろサッカーにしろ何にしろ、それに関わるスポーツ選手のあらゆる美談や苦労話みたいなものが、ニュースやテレビで常に話題になっていますが、むしろスポーツのほうこそ、個人の趣味の範囲でやってください……と、腐っても芸術家であるぼくとしては、ついそんなふうに思ってしまいます。

 

人生に努力や頑張りは必要ない?

そもそも、去年より1秒はやく走れたからといって、1キロ速い球を投げられたからといって、肉体の限界をさらにもう一つ超えたからといって、仮にもそのためにその人が費やした努力や頑張りが、その人の後の人生を好転させる肥やしになるというふうにも、ぼくには思えません。

なぜなら、人間の人生というのは、努力や頑張りを本来必要とはしないはずだからです。努力や頑張りというのは、「こうなりたい!」という気持ちがあるからすることだと思いますが、「こうなりたい!」という気持ちがあるうちは、どうすることもできないというか……それこそがまさにその人自身を苦しめている最大の元凶なのです――

と、これ以上書くと、いよいよ宗教法人でも立ち上げるのか?なんて突っ込まれそうなので、とりあえず今日の講義はこれで終わりにしましょう……(苦笑)

 

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