仕事をしない&毎日書きもしない無名作家が、尊敬されてしまう理由とは!?

10年も同棲しているくせに、「離婚してやる!」くらいまでの大喧嘩に未だになってしまうのは、人並みの生活や贅沢を求める妻と、まったくそれに興味がないぼくという――いわばお互いの価値観に差があり過ぎるからですが……(苦笑)

まあだったら、もっと早い段階で別れていれば良かったとも言われそうですが……先の大喧嘩も結局円満に収まったということは、離婚の手間とか経済的な面倒に無理強いされた部分も正直お互いにあったとはいえ、いや、それもこれもぜんぶ合わせた、お互いのフィーリングというか愛というか運命というか……(笑)

とにかく、理屈ではなかなか上手く説明できない、全体を牛耳っている感じの何かが、実は自分たちの意思に関係なく、自分たち夫婦を引き離さなくさせているような気もします。

 

芸術家の妻たるものは――とか、いわゆる太宰治の彼女や妻たちのような、芸術家である自分と一緒に奈落の底まで付き合ってくれるようなドエム女子こそを理想としていた時期も、ぶっちゃけありました……(苦笑)

しかし、長年自分なりに芸術を突き詰めてきたつもりの今現在は、芸術より、妻や家族や友人たちのほうを、むしろ優先して大事にしたいと思いはじめています。というか、芸術家だからといって、芸術を創り続ける必要はないだろうと最近は思っています。

芸術家にとって一番大切なことは、芸術や作品を創り続けることではなく、好き勝手に生き続けることです。自分の気が向くまま、何事にも縛られず、心も体も自由に解放させてやることそのものこそが、いわば芸術なのです。

だから、芸術家足るものが仕事なんかするべきでない(バイトさえも)ことは、今さら特別主張するまでもないことですが(笑)それに加えて、無理に毎日書く必要もないだろうと、最近のぼくは思っています。

どんどん書いて、ジャンジャン本を出すことを否定するつもりはもちろんありません。むしろ一定以上の作品には、圧倒的な文字数が必要だろうとも思います。しかしというか、まあ当たり前ですが、たくさん書きたい気分でもないのに無理やりたくさん書いてしまうのは、むしろ芸術に反してしまうことになります。

芸術に反して尚どんどん書く作家というのは、芸術家ではなく、要は商人であって、商人ということは、「お金が必要な状況を自らつくってしまっている要は一般人」ということであり、つまり、1日3食以上の食事+シャンプーもリンスも石鹸も歯磨き粉も使う+酒もタバコもやるという、芸術家ではないごく普通の人たちとまったく同じ価値観しかもっていないということでしょう。

何度でもいう→「働くことは悪いことである」

芸術は鑑賞者のために創られては絶対にダメで、絶対に自分のためだけに創らなければならず、鑑賞者がぜんぜん楽しくなかろうと、自分さえ楽しめればそれで良いという、究極のワガママの基に創られるべきで、さもないと最低限の普遍には絶対にたどり着けない――というのが、約20年間毎日芸術を考え続けてきたぼくの大雑把な結論の一つです。

ぼくにとって芸術作品というのは、創った直後に無価値になるのが最も理想です。芸術に必要なものは、「完成度」ではなく「動き」であって、芸術というのはむしろ常に未完成でなければなりません。決め事や落としどころを、ちゃんとその実態をもってどれだけ多く拒絶できるか?こそが、その芸術家や作品の芸術的価値を決めるのです……。

 

――と、何を言っているのか自分自身でも良くわからない気もしちゃう、だいたいここまでのことを……このあいだ12年ぶりくらいに会った高校時代の友人に一気に語ってやりましたところ、40歳にもなってこれほどウンコな思想をもっていることを、むしろ尊敬されてしまいました……(苦笑)

ええ、人というのは本当によくわかりません。というのも、その友人には、綺麗な奥さんと、子供が二人と、超お洒落な新築の一軒家と、黒くて高そうな車も二台あって、いわばあらゆる状況が、ぼくのウンコ思想と対立しまくっていたのです。

で、「今度くるときは奥さんも一緒に家に連れてこい」とソイツに言われたのですが、こんなにも既存の常識&経済に大きく依存している生活を妻にみせてしまうのは本気でマズイ(嫉妬で発狂する)と、そうはっきりいって断りました……(苦笑)

まあだから、妻のために今よりもうちょっとお洒落な感じのアパートに引っ越したいと思う気持ちは当然あるので、そのためにも、このブログをもう少しマジメに(稼げる方向に)やろうと思い直しているところでもあります。。。

 

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