芸術家のぼくが選挙(投票)に行かない理由

近々選挙があるみたいですが、芸術家は誰も投票なんかには行きません。投票なんかに行く暇があったら、浜辺で綺麗な石を拾い集めるか、夕日に手を振りながら「今日も一日ありがとう」と100回つぶやくでしょう――

というのは、ぼく個人の偏見というか、少なくともぼく自身はそうだという話ですが……(苦笑)

それはそうと、なぜぼくは投票に行かないのか?というと、そもそも今の社会を変える必要はまったくないと思っているからです。もっといえば、今の社会が変わることを止める必要もないと思っているからです。

というより、仮に戦争をする時代が来てしまったとしても、戦争というのは台風とかの自然現象と同じで、その流れが過ぎ去るのを待つことはできても、人為的にその流れを止めることは絶対にできない――というふうにぼくは考えていて、だからぼくにとっては、自らの意思を示す(選挙に行く)道理がないのです。

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そもそも社会を変えるのは、「時間の経過とそれに伴う全体のフィーリング」でしかなく、そしてそれはもはや人間の意思などではないと、年齢を重ねるごとにぼくはその確信を深めています。

一個人は愚か、大富豪や総理大臣や英雄であろうと、「時間の経過とそれに伴う全体のフィーリング」という流れに逆らえないことは、古今東西あらゆる歴史が何度も証明していて、その真実に抗うことは、いつまで経っても合理的にブログを運営できないこのぼくでさえ、あまりに徒労なことだろうと思ってしまいます。

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社会を変えるほどの社会の大きな意思というのは、個人の意思の集まりというより、ただの自然現象です。だから個人の意思じゃどうすることもできないという以前に、個人の意思というのは、その時折の社会の大きな意思に、自動的に統一されるように仕組まれるのです。

「支持政党がない」という大きな無意思に、事実多くの人が最初から統一されてしまっているわけで、つまり、何かを考えることも、何かを話し合う必要もそもそもなく、目の前で起こることを、たとえそれがどんなに不幸や残酷なことであっても、ただ目視することしか、どんな人間にも基本的にはできないのです。「変える」のではなく、「変化に合わせる」ことしか、人間にはできないということです。

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――というのが、ぼくが選挙に行かない大雑把な理由ですが、ぼくはこの考えを誰かに強制するつもりは当然ないし、それどころか、投票に行けばお金が貰えるとかなれば、普通に投票に行きます……(笑)と、つまりぼくは、投票の可否どちらにも、実はまったく信念を持ち合わせていないということなのです。

だから仮に投票に行ったとしても、候補者の中で一番顔がおもしろい、あるいは一番ヘンな名前の人にぼくは投票してしまうでしょう。

政策とか理念とか、そういうものは一切見ません。そういうものは、それがどんなに立派なものであっても、あるいはその候補者がどれだけ真面目で真剣な政治家であろうと、「時間の経過とそれに伴う全体のフィーリング」という流れにぜんぶ飲み込まれるか、もしくはその超真面目な候補者がこっそり闇に葬られるかして、跡形もなくなってしまうことが、最初から決まっているからです。

人間が真剣になるべきことはもっと他にたくさんあるはずです。「浜辺で綺麗な石を拾い集めること」も、「夕日に手を振ること」もそうだし、「毎日ちゃんとウンコをすること」にしても、冗談ぬきで政治を勉強することよりずっと大事なことです。

そしてたとえばそれらのことこそが、「生きていることへの祈りにも通じるレベルのこと」だと、少なくともぼくの中ではそう言い換えることさえできてしまいます。

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……まあ、少しばかり話が飛躍してしまった感もありますが、とにかく芸術家(ぼく)は、選挙には興味がないけど、お金をくれるなら投票に行きますよ、という最低の生き物なのです……というお話でした。おしまい。

 

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