無名作家歴20年のぼくが、毎日小説を書き続けられる理由とは?

スランプに陥りながらも、書き続けていた。

今年の誕生日で、ぼくもとうとう40歳になります。19歳のときに散文みたいなものを書きはじめてから、途中3年ほど演劇をやっていた時期もありますが、そのころも戯曲や小説もどきの散文を書いていたので、もうかれこれ21年間、毎日書き続けています。

その間、いわゆるスランプとかで書く手がとまったことは一度もありません。というか、スランプに陥ることがあっても、スランプのまま書き続けてきました。

もちろん、引越しとか旅行とか、風邪をひいたり、バイトで疲れたり、ブログを書くことに集中したり、最近でいえば、「ワードプレスとは何か?」「ドメインとは何か?」なんてことを1日中問い続けたり……と、どうしても小説を書けない日はありますが、基本的には21年間、毎日ずっ―――と、書き続けています。

「無名なのに、まったく仕事になってないのに(ある文学賞で二次選考通過が最高)、なぜいつまでたっても懲りないの?」と、久しぶりに会う友人とかに、そんな感じで聞かれることがあります。そして彼らは、小説や芸術に対するぼくの信念みたいなものに、驚くというか、場合によっては腫れものに触るかのように、警戒することさえあります。

よく見ると、微妙に目の焦点が合っていないのでは?とか……

もちろん、そんなことはありません。ちゃんと目の焦点は合っています。

 

「小説を毎日書くこと」は生理現象で、努力ではない。

はっきりいって、「小説や芸術に対する信念のようなもの」は、少なくともぼくにはまったくありません。信念で書いているわけじゃないんです。「得体の知れない何モノかに突き動かされている」とかでもありません。

じゃあ何かといえば、ただの生理現象です。お腹がすいたからご飯をたべる、眠くなったから寝る――というのとまったく同じ理屈です。だから、もしも毎日書けないような環境になってしまったら、冗談ぬきでぼくは死んでしまうかもしれません。

よく、「毎日は書けない」とか「1日何枚書くようにしている」という話を耳にしますが、そういう感覚がぼくにはまったくわかりません。「よし書くぞ!」とか、無理に自分を鼓舞することもありません。自分で勝手に動いて(書いて)しまっているだけです。まあだから、「自分に突き動かされている」とはいえるかもしれませんが……。

 

「小説を毎日書くこと」は、毒をだすこと。

プロの方は、それぞれの書くペースなりスタンスを確立されていると思うので、ぼくがどうこういう話じゃないと思いますが、小説家志望の、要はぼくみたいな無名作家の人が毎日書けないというのは、ちょっとマズイかな?と思います。

なぜなら、アマチュアのうちの書く行為というのは、「毒をだす」ことだからです。というのは、最近、二年くらいまえに自分が書いた小説をチラッと読んでみたんですけど、思わず吐きそうになって……(苦笑)つまりそれは毒だった(ダメなものだった)ということです。

そういう毒というのは、吐きださないと(書きださないと)わからないというか……しかも、書きだして、それを毒と認識できるまでにもけっこう時間がかかるので、しかも、その毒がまず吐きだされないうちは、その奥にある毒はずっとそこに溜まったままなので、要は、ちょこちょこ毒を書きだしたところで、そのさらに一番奥にあるはずの綺麗なものがでてくるまでには、そのぶん相当時間がかかるということです。

もちろん一概にはいえませんが、ちょこちょこしか書いていない人の毒は、たぶん一生かかっても出しきれないと思います。つまり、その人の奥にある綺麗なものが出されるまえに、その人が死んでしまうわけです。それは、すごくもったいないことです。

綺麗で純粋なものが奥にあるからこそ、なにかを書きたいとか表現したいと思うわけで、それを出しきれないで死ぬということは、その人自身はもちろんですけど、世界にとってもマイナスだと思います。だから、毎日書けないという人には、大袈裟でなく、世界への責任が自分にもあるんだと、そのことをしっかり自覚していただいたうえで、最低でも、毒をちゃんとぜんぶ出しきってから、死んでくださいということです。

 

毎日書き続けられない人はどうするべきか?

そうはいっても毎日は書き続けられない、でも小説家にはなりたい――という人は、月並みな言い方になってしまいますが、なぜ自分が小説を書きたいのか?を、もう一度しっかり考えてみることをお薦めします。

ちなみにぼくの場合は、しっかり考えた結果、「小説を書きたい理由はない」という結論にたどり着きました。「生理現象」だとしか、やっぱり言いようがないということです。

というか、ストーリーをどうしようとか、登場人物のキャラをどうつくろうとか、そういうことに労力を使いすぎているから、毎日書くことができないのかな?とも、思います。「ストーリーや人物のキャラなんてどうでもいいだろ?」というのが、小説を書く上でのぼくのスタンスです。だからぼくはいくらでも書ける、ということもあると思います。

そもそも、あらゆるストーリーはすでに出尽くしていて、いくら頑張ってストーリーを考えても、既存の作品と似かよってしまいがちです。だったら、ストーリーで勝負するのはやめて、自分なりの文体で勝負したほうがいいだろうと思います。

 

自分なりの文体を獲得するために、質より量を優先する

長くずっと書いていると、やがて自分なりの文体を獲得することができます。文体というのは文章力のことではありません。その人の肉体とか感覚に合った文章のリズムのことです。

とにかくまずはこの文体を獲得しないと、いくらストーリーや内容がおもしろくても、中身がスカスカな作品になってしまい兼ねません。逆にいえば、自分なりの文体さえ獲得してしまえば、これといって特別なネタを書かなくても、それなりの形になるだろう、というふうに、ぼくは思っています。

小説においては、文体こそが、その人独自の感性を表現するのに、もっとも相応しいものだと思います。ストーリーとか人物をどうしようとか、そんなことは二の次にして、とにかく書く。書いて書きまくって、自分なりの文体を獲得する。そのためにも、とくに小説を書きはじめたばかりの時は、質よりも量を優先すべきだと、個人的には強く思います。

――と、無名のくせに偉そうなことをベラベラしゃべってしまいましたが、ぼく自身もまだ自分なりの文体を完全に獲得できているわけではないので、同じ志をもつ作家志望の方々と一緒に、しっかり自分の文体を獲得できるよう、精進していきたいと思います。

 

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