年収350万と、年収4,000円は、どっちが幸せか?

先週、年収が350万(都内)の同い年(39歳)のサラリーマンの友人Nから、今の会社にいてもこれ以上出世も見込めないし、転職しようか悩んでいる、という相談がありました。

はっきりいって、年収4,000円のぼくとは次元が違いすぎる悩みですが……とりあえずぼくはNに、転職はやめたほうがいいと言いました。というのも、その友人には特別なスキルも資格もなく、マネジメント経験も、まったくといっていいほどないからです。要は、今以上に条件のいい会社に転職することは、99%無理だろうと、ぼくは思ったわけです。

当然です。いくら売り手市場とはいえ、企業がほしいのは若くてフレッシュな人材か、ヘッドハントしたいくらい優秀な人材だけで、「なんか今までの仕事もうマジで疲れたから、ぜんぜん違う仕事で心機一転したいんだよなぁ……」なんて能天気なことをほざくNのような廃材なんか、その履歴書に目を通す時間さえ惜しいことでしょう。

39歳転職希望者の幼稚極まる苦悩

異動した新しい部署の空気に耐えられない。新しい部署の連中はくだらないカスばっかり。どうせ今の会社にいてもこれ以上の出世は見込めないから、このままだと結婚もできないし、千葉か埼玉あたりのマンションも買えない……で、数字に追われずもっとダラダラできて、残業もほどほどで、それなりの年収と、転勤がない会社に再就職したいと――

要は、会社には行ってもいいけど仕事はしたくない、起業とか商売をする勇気もない、そのくせ並より少し上の金と地位がほしいなんていう自分は確かにクズかもしれない。でも叱ってほしいわけではない、とにかく聞いてくれ。いや、傷つかない程度に何か話してくれっ…!!

――という感じのNに、そもそも付き合うことができるのは、ぼく自身もまた小説のためとはいえ、社会に馴染めない人間だからということも一つにはあるでしょうが、そうはいっても、だから社会に適応することを半ばあきらめている自分と、そうでないNとではやっぱりぜんぜん違うわけで、そしてそうでない限りは、結局社会に準ずる意見をいうしかありません。

「売り手市場っていっても、俺らみたいな氷河期はどこも余ってるだろ?」

「氷河期はつらいね・・・いまの学生が羨ましいよ」

「年収下げるとか、なにか妥協しないと。前の部署に戻してとかいえないの?」

「それは百パー無理」

「転勤は?」

「考えられねーな」

「残業は?」

「二十時間以上は無理」

「営業は?」

「できればやりたくない」

「フランチャイズの靴修理店とかどうよ?そんなに資金もかからないらしいし、一人でやれるから気楽ではあると思うけど」

「まあでも、そういうのはちょっとな・・・」

「ちょっとなんだよ?」

「性に合わないっていうか・・・商売は無理だな。金の計算とかメンドイし」

「だったら派遣かバイトしかねーな。それか俺みたく主夫になるとか。もう四十なんだぞ。キャリア転職じゃあるまいし、選べる立場じゃねえだろ!?」

と、さすがに鬱陶しくなって少し強めにそういったら、

「やっぱそうだよなぁ・・・」

と、結局だれに愚痴っても言われることは同じかぁ・・・みたいな、そんな感じの相槌に聞こえてちょっとムカついたから、「会社を辞めるかもしれないといったときに一応止めてくれたらしい部長のそれは、半ば社交辞令的なものだったかもしれないな」とまで言ってやろうか迷いましたが、さすがにそれはグッと堪えました。

 

親の期待に苦悩する団塊ジュニア

Nとは高校からの付き合いで、お互い上京してからも一ヶ月に一度は必ず会っていました。思想とか、真理とか、ドストエフスキーとか、カフカとか、今度という今度は本気で彼女と別れようと思っているとか、来週こそ本気で絶対に会社を辞めるつもりだとか……毎度変わりばえのしないそんな話のために、ぼくは当時住んでいた杉並区のアパートから東西線で一時間かけて、Nのアパートがあった浦安まで通っていました。駅前の西友で買う酒は黒霧島か浦霞。ツマミは、マグロの切り身と唐揚げとソーセージ、冬はプラス塩鍋と、だいたいいつも決まっていて、五年くらい前にNが今の池袋のマンションに引っ越してからも、メニューはほとんどかわりませんでした。

「なんかもう、いろいろ考えるの面倒くせえな・・・」

「別にいろいろ考えなくても、できる仕事は限られてるんだから」

ていうか、面倒なのはこっちだと言わんばかり、

「結局どれだけ妥協できるかの話しじゃねえの?資格もスキルもマネジメントもできない39歳なんて、そんな奴ほしがる会社がどこにあるんだよ。ちゃんと自分の市場価値を理解しないと」

と、かなり強めに畳みかけたら、

「まあそうなんだろうけど、やっぱりね・・・」

とか、この期に及んであーだこーだいうNに、ぼくはすっかり参ってしまいました……。

Nの父親は団塊世代です。もうそれだけで、年収の価値観が違います。しかも、エリートの銀行マンだったらしく、要は、それ故の幼い頃からのNへの過剰な期待の擦り込みが、自身の市場価値と向き合うことを頑なに拒否させているのだろうと、ぼくは勝手にそう解釈しているのですが、仮にその通りそうだとしたら、Nは一生自分の殻に閉じこもったまま、出てこられないかもしれません。というか、Nのもともとの性格上、殻を破るなんてまずできないだろうと思ってしまいます。

だったらもう、先へ進むのはあきらめて(未来に希望をもたず)、そのかわり、折りに訪れる自分自身への期待やそれに伴うストレスを、その都度上手くやり過ごして(趣味に逃げるとかして)、せめてこれ以上後ろへ下がる(これ以上絶望する)のだけは回避するように生きるとか……そんなふうに割り切ることも一つの希望かもしれないぞ――

……なんて、ある意味メチャクチャNを罵倒しているやもしれない物言いであることは百も承知ですが、しかしもはやNのような人間は、どう考えてもそんな感じで騙し騙し生きていくしか方法がないようにぼくには思います。

 

あらゆる精子は勝つべくして勝ったのか?

もちろん、Nにしたって、ぼくや他の人々と同じく、何億という精子の中を勝ち抜いてきた一流の生命体であることに違いはないでしょう。そう、射精直後に死滅した精子、それなりに健闘した精子、卵子の手前で力尽きた精子――いわば全精子の代表として、この世界に命を授かったはずのN。

いや、「Nにさえなれなかった」と、何億という精子たちをそう決めつけてしまうのは不憫な気がする――といえば、またまたNをコケにするのか?ってことになってしまいますが・・・しかし実はもっと優秀な精子はたくさんいて、その彼らが潰し合っている隙に上手く逃げ延びたとか……誰かに蹴飛ばされた先がたまたま卵子の入口だったとか……残念ながらそう考えるほうが、Nの場合は腑に落ちる気がしてしまいます。

ともあれ、どんな人間にしても、数億分の一という厳しい戦いを勝ち上がってきたということは、要するにどんな温厚な人間にも、それ故の闘争本能が遺伝子に組み込まれているわけで、つまり世界各地で起こっている戦争や紛争は、人類が最後の一人になるまで殺し合うための序章に過ぎないかもしれないとか……

いや、それはそうと、年収4,000円とはいえ、一応小説を書き続けることに腹を括ることができている自分は、年収350万のNより、ある意味幸せなのかもしれないと……そんなことを思ったのでした。

 

就職氷河期世代が辛酸をなめ続ける (Yosensha Paperbacks)
宮島 理
洋泉社
売り上げランキング: 969,131

 

0
 
スポンサーリンク