文学賞の下読みは信用できるのか?

小説家であるぼくが、ほとんど小説を読まない理由

小説が売れない(読まれない)のはなぜでしょうか?もっとおもしろい娯楽があるから?ネットが普及したから?世間の人たちが無能だから?そうではありません。小説自体がツマラナイからです。

そもそも、小説を書いているぼく自身、普段ほとんど小説を読みません。というのも、小説というのは、人物や状況諸々の設定を、文字から想像していかなければなりません。この人はだいたいこういう人だとか、この場所はこういう感じのところだろうとか……小説を読みながら、そういうことをいちいち頭で整理したり追っていくのが面倒なのです。だったら、わざわざ小説でそれを読まなくても、マンガ(絵)や映画(映像)のほうが楽だろうと思ってしまうのです。

もちろん、文字から映像を想像するほうが楽しいという活字中毒の方も一定以上はいるでしょうが、少なくともぼくはそうじゃないし、多くの人たちも、絵や映像を見てわかるものを、わざわざ文字で読もうとは思わないでしょう。

要は、小説というのは、絵や映像で表現できること以外の表現を求められているわけで、その意味にそのまま照らせば、少し乱暴ですが、映像化される小説というのは、ぜんぶ読む意味がないということになります。

 

小説にしかできない理想的な小説表現とは?

じゃあ、小説にしかできない理想的な小説表現とは何なのか?といえば、簡単に絵や映像になってしまうような「形」をつくらないこと――というのをまずは大前提として意識するべきだろうと、ぼくは思います。

たとえば、ある一人の人物の、職業年齢家族構成からはじまって、その人の仕事ぶりとか異性観とか、要は「何かの観念」――これも立派な形ですが、そもそも、そういう何かの形の中に人を固定化してしまうと、その人にしかない「もっと別の何か?」が見えなくなってしまいます。そして小説というのは、その「もっと別の何か?」を見せることに、徹底してこだわるべきだとぼくは思います。

だから、人物のキャラや性格、あるいはある状況をよりリアルに読者に伝えるために、いろいろな説明を書き込む――という作業は、ぼくにとって絶対にやってはいけない行為なのです。

―うん、そうそう、わかる。いちいち尤もだと思う。

とか、たとえばそういう要素というのは、小説や芸術においてまったく必要ないということです。小説や芸術というのは、読者に何かを伝えたり教えたりするものではないからです。じゃあ小説や芸術はなんのためにあるのか?といえば、「理解できないものを探す行為」というふうにも、一つには言えると思います。

―これってなに?なんだろ?なにこの感じ?

みたいなものを、小説家自身でさえわからないまま(整理をしないまま)作品としてつくってしまっているのです。というより、整理できてしまうものなら、いちいちつくる必要はないというふうにぼくは思います。整理できないほどわからない、でも何なのか?がメッチャ気になる――そういう観念からでしか、本当の小説(芸術)というのは生まれないだろうとぼくは思います。

 

ほとんどの小説は作者の手の内で書かれている

しかし、小説のことだけでいえば、日本にあるほとんどの小説というのは、作者自身が小説の中身をぜんぶ頭の中で整理(支配)していて、要は、その作者の手の内(頭でまとめたもの)で書かれたものばかりなので、「これってなに?なんだろ?なにこの感じ?」的なものに飢えているぼくのような人間には、どうしても物足りなく感じてしまうのです。

「あ~、はいはい…そういうことね」とか、「うん?ちょっとわからんけど、まあでもそんなのどっちでもいいんじゃないの?」とか、「わざわざ小説で語るようなことなのかな?」とか、どうしてもそういう感想しかもてなくなってしまうのです。

どういうわけか人間の思考というのは、ある一つの情報から、ある一つの結論なり結果を導きたがる(形としてまとめたがる)傾向があるようにぼくは思いますが、その結論なり結果を積んだ先にあるものというのは、いわゆる「実利」であって、それはつまり「物理」であり、小説や芸術が目的としている領域とは、本来まったく別のものだと思います。

 

ぶっちゃけ文学賞の下読みの人を信用していません。

と、かなり前置きが長くなってしまいましたが……そんなわけで、ぼくは文学賞の下読みの人たちを、まったく信用していません。というか、おそらく彼ら(下読みの人たち)は、小説としての最低限の「形」が整っているか?をチェックするのが仕事だと思うからです。

現に、ある程度「形」を整えて(既存の小説っぽくして)文学賞に応募した小説は、二次や三次選考くらいまでいくのですが……「形」を崩して書いてしまうと、一次選考にすら通らなくなってしまうのです。

そしてぼくとしては、「形」を崩して書いた後者のほうが、小説としての出来というか価値が圧倒的にあるだろうと思ってしまっているので、要はもう文学賞に応募したところで意味はないかな?と、今のところは思っています。

 

小説のことをわかってないのは、ぼくか?下読みか?

もちろん、ぼくが実は底なしの大バカ野郎で、小説や芸術というものをすっかり勘違いしているということもあるでしょう。というか、たぶん多くの人がそう思っていると思います。

↓そう、だからこの小説サイトを読んで頂き、ぜひ皆さんに判定してもらいたいと思います。

自動記述による文章練習

コレこそが、「形」を崩したぼくの理想とする小説の書き方です。ええ、これまでさんざん偉そうにいってきた今のぼくの全力がコレです。

「やっぱコイツ小説のことなんもわかってねーじゃん♪」と笑い飛ばすもよし……

 

「つーか、とっととこの天才をデビューさせてやれよ!」と、方々に拡散して頂くもよし――

 

って、なんだか超チャラい感じになってきたので、今日はこのへんで失礼します……(苦笑)

 

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